18日に山種美術館に行きました。
公立の美術館に比べると小規模ですが、落ち着いた品のある美術館です。2009年に「速水御舟展」を見に行って以来の訪問です。
恵比寿の駅から近いとのこともあって、多くの人でにぎわっていました。
日本画中心の展示でしたが、黒田清輝、佐伯祐三、梅原龍三郎といった明治、大正、昭和の洋画家の作品も数点ありました。
いずれも質の高い作品で初めて目にするものもあり嬉しかったです。
しかしなんと言っても近代日本画のコレクションの質の高さにはただただ感服するだけです。
御舟をはじめ、竹内栖鳳、奥村土牛、福田平八郎。それに江戸時代の浮世絵版画など。
日本画が持つスケールの大きさに圧倒されてしまいました。
この作品「翠苔緑芝」のシンプルさ、気品。御舟の代表作です。もちろん「炎舞」も素晴らしいですが、私個人はこちらの方が好きです。
これらの作品が海外に流出せず、国内にあるということが意義あることだと思います。
それとコレクターの審美眼、絵に対する愛情などが結実した美術館がこの山種美術館なのでしょう。
2012年の始め、良いものを見せていただきました。
12月10日、土曜日に奈良県立美術館で開かれている礒江毅展に行ってきました。
「素晴らしい」の一言に尽きます。
「レアリズム」や「写実主義」などの言葉がありますが、彼の絵は今までこのような言葉で表されてきた絵とは全く違う絵のように感じました。
たとえば、人物を描いた作品を見たとき、「構図が良い。」、「色が美しい。」、「ああ、美しい人だ。」とか「性格がよさそうな人だ。」とかをその絵から感じ取るという
のが一般的だと思うのです。
しかし、彼の絵はこれらのことは二の次で、最初に感じることは、
「そうだ、人間の肌はこんな感じだった。」
また静物画を見たときには、
「そうだ、白い皿の釉薬はまさにこれだ。葡萄の皮はこうだった。レモンの皮もこうだった。」というふうに物が持つ本質に思考が向いていく。
そして、画面から湧き出る迫力と美しさに圧倒されていく。
ものの本質というのは頭の中では分かっているつもりなのですが、絵を見て本質に気づかされるということは滅多にないことなのです。
ダビンチやラファエロの絵を見てもこのような感覚はありません。
礒江毅の絵だけが持つ力です。
見るものにそのように感じさせるには、本人の絵に対する姿勢というものが、大きく影響しています。
「リアリズムとは、言うまでもなく写実主義の事であり、写実とは実を写すと書く。そして実とは真実の実であり現実や果実の実でもある。実とは、肉眼を通じて精
神に映し通した像を言うのだろうか。
見つめれば、見つめる程、物の存在が切実に移り、超現実まで見えてくる事がある。そこまで実感し感動を起こす精神の繊細さをもって初めて実を写せるのでは
ないだろうか。
習い覚え、慣れ親しんだテクニックだけに頼って機械的に描かれた画面に、実が宿るはずがない。」
「日常生活の中で見慣れた物でも、見れば見る程、その本来の用途や目的を
忘れさせ、初めて接する物の様に思えてくる事もある。そのときの視覚や感覚が、
先入観や観念を追いはらい、新たに個人的な関わりを持ち始めてしまうからか
も知れない。 当り前の物でもあえてこだわれば、もう当たり前でなくなってしまう。そこで初めてリアリティに触れたと言えるのではないだろうか。」
わが写実②/月間美術195号、1991年12月
このように写実について語っています。
残念ながら2007年に他界されています。非常に惜しい作家をなくしてしまいました。
日本の画壇にとって、大きな損失でもあります。
美術館を出た後奈良に住む陶芸家の友人とこの展覧会について話し合いました。
偶然にも礒江氏と友人、私も同じ1974年にヨーロッパに渡っています。
私「俺たちはパリで何しとったんかな~。遊び呆けてたもんな。ちゃんとしてたらもう少しはましな絵描きになっとったかもね。」
友人「いやいや彼(磯江氏)がスゴ過ぎるんやで。」
てなことで、慰められました。
10月31日に搬入しました。
初めてのウインドウ展です。ここのギャラリーの企画はユニークで楽しい展覧会が多いのが特徴です。
私の絵画はその中では極普通と言っていいでしょう。
出品点数が8点と小規模ながら楽しい、元気が出る空間を目指しました。
吉祥寺の街は今、東京の中で「住みたい街」、ナンバーワンということでも有名です。私も大好きな街です。
今は亡くなってしまったフォークミュージシャン「高田渡」のホームグラウンドでもあり、彼に憧れて、立ち飲みの焼き鳥屋「いせや」にも
行ったことがあります。(ミーハーですね。)
デザイン性豊かなショップと庶民的な店舗が混在していて、魅力あふれる街です。
当日、埼玉から吉元耕平君がお母様と一緒に、会いに来てくれました。
久しぶりにお会いしたのですが、耕平君がとても元気なので安心しました。
10月に展覧会をされていた、詩人の白鳥信也氏も一緒に、詩や絵の話題で盛り上がりました。現在制作中の油彩画も見せてくれました。
元気の出る、サツマイモと緑の実の絵です。大胆な構図が印象的です。完成がとても楽しみです。
耕平君の詩も白鳥氏に読んでもらい、とても良いとのことでした。
私もうれしくなりました。
ところで、耕平君と二人展をいつか開きたいと思っていたのですが、再来年の3月、約1カ月間、ここ、吉祥寺ギャラリーボンブラで耕平君の絵と詩、
そして私の絵が並ぶことが決まりました。
人との出会いは楽しいし、美しいものです。
2年後をめざして、耕平君、お互いがんばりましょう。!!
10月15日、16日と北海道、釧路に行ってきました。
増田誠展が釧路市をあげて開かれています。
北海道立釧路芸術館、釧路市立美術館を中心に市内各地のサテライトで約300点が展示されています。
大回顧展と言っていいでしょう。
以前にも増田先生のことは書かせていただきましたが、私のパリ時代の恩師でもあります。
今回の展覧会は1950年代から最晩年までの作品が並べられていて見ごたえのあるものでした。
個人的には50年代、60年代の作品が好きで、それらを見ることが出来てとても良かったです。
「水の増田」と言われていたように、これらの風景画の水面の表現はスゴイです。
増田ワールドに浸った2日間でした。
久しぶりに耕平君からお便りが大きなサツマイモと一緒に届きました。
見たこともない大きさです。
「土の中でがんばって大きくなったぞ!」と叫んでいるような力強いイモです。
このイモを収穫した詩も紹介させていただきます。
この詩の中に、なんとうれしい事に私の名前があります。!!!
光栄ですね。
このサツマイモの絵、楽しみですね。
それと、前回耕平君が油絵を書き始めたことを書きましたが、その完成作品の写真も同封されていました。
背景の色に悩んだとのことでしたが、結局青くしたとのことです。
いいと思います。
耕平君、新しい、楽しい世界を見つけていきましょう。またそれを教えてくださいね。
長い間更新が出来ず、失礼いたしました。
やっと個展が終わり、吹く風もめっきりと秋らしくなり空を見上げてほっとしているこのごろです。
近鉄上本町での個展は今回で3回目になります。
落ち着いた画廊の雰囲気は、個人的にはとても好きです。
今回もいろいろな方々がお忙しい中見に来てくださり、本当に感謝しております。
食事の時、隣にできた新歌舞伎座のビルを散歩、楽しいお気楽な時間を過ごさせていただきました。
地下にある近鉄上本町駅はかつては近鉄のターミナルで、私の幼少の頃、ここは大変な賑わいをみせていた百貨店という記憶があります。
その頃に比べるとずいぶんと寂しい感じがしますが、なぜか私はここの画廊の雰囲気が気に入っています。
また次回個展ができる日を楽しみにしています。
今は次回の個展、11月の「吉祥寺北町ストリート・ウインドー展」の準備をしています。
ありがたいことです。お声をかけていただけるだけでも。
感謝!!
蒸し暑い日が続いています。
電力消費を抑えようと、世の中みんなが協力されているなか、我が家も出来るだけエアコンなしの生活をおくっています。
今日は大変遅くなったのですが(実は6月のお話です。)、耕平君からの久しぶりのお便りを紹介させていただきます。
耕平君が油絵に挑戦されています。
水彩画は以前に紹介させていただきましたが、自由でのびのびとした画風が印象的です。
まだ途中の段階ですが、水彩画とは少し違った雰囲気になっていきそうで、楽しみです。
この、ラディッシュは耕平君自ら育て、収穫したものです。
この作品写真と素敵な詩と泥が付いたままの新鮮なラディッシュが送られてきました。
ちょうど夕飯どきに届いたものですから、さっそく一品追加の、まことに豊かな食卓となりました。
そして詩がこれです。
信じられないような震災の後、気分が晴れず、仕事もなかなかはかどらない時にこの詩を読み、元気が出ました。
立派な葉に大きなラディッシュ、塩とバターをつけて。
お手紙をいただいてから2ヶ月、耕平君の油絵はどのようになっているのか、完成したか、いや、まだまだ途中なのか、
楽しみです。
梅雨の中休みの土曜日、「カンディンスキーと青騎士」展に出かけました。
抽象画で有名で、パウル・クレーとよく並び賞される作家です。
正直なところ、カンディンスキーの抽象画は、良いとは思いますが、以前、ポンピドーセンターだったと思いますが(記憶があいまいです)、
そこで見た、初期の風景画がとても印象に残っています。
暗い木々を描いた風景画でした。
「やっぱり、ただものではない!」と若いながらそう感じたことを覚えています。
今回も初期の絵が並んでいるのではないかと、期待して行きました。
ありました!!
いいですね。やっぱりカンディンスキーは初期の風景画がすばらしい!
小さな作品ですが、宝石ですね。 筆ではなく、ペインティングナイフで絵の具を押し付けるようにして描いています。
ペインティングナイフを多用すると、絵に力強さは表現されやすいものの、品格にかける場合が多いのが現実です。
しかし、カンディンスキーはそのようなことは微塵も感じさせません。やはり、作家の美意識と力量が高いのでしょう。
この作品は筆で、描いています。鮮やかな色彩を多用しているにもかかわらず、落ち着いて品格の高い作品です。
良いものを見せていただきました。
それと、ヤウレンスキーという私の好きな作家の絵も見ることが出来て、うれしかったです。
いかがですか?
心が曇り模様から青空に変わった一日でした。
先日、友人ご夫妻が我が家にこられました。
この友人ご夫妻は柿右衛門の蒐集家であります。
それも大変質の高いものばかりを集められていて、私は、近い将来コレクション展を開いて欲しいと、いつもお願いしています。
話題も自然と焼き物の話で盛り上がります。
「最近手に入れたものは?」とか・・。
貧しい絵描きが手元に置ける骨董といえば、普段使える雑器に限られます。
そんな環境の中で昨年、?千円で手に入れたものが古伊万里の器。4枚あったのですが、家内の許可が下りず、1枚だけ手に入れました。
それがこの食器です。 漬物や豆腐を盛ったり、使い勝手が良く、毎日食卓に登場しています。
安く手に入れることが出来て、掘り出し物の部類に入ると一人で鼻高々。
友人が持ってきて見せてくれたものが、これ!
いいですね。 それも表が濁し手、裏は染付け。珍しいです。それと、
この延宝の藍柿右衛門。これをなんと私が手に入れた古伊万里と全く同じ価格、?千円で手に入れたとのこと。
すごい!!!。
「どうやって手に入れたの?」
「信じられない。」
などの話でまたまた盛り上がり。
そこで、古典的な洋菓子を盛ってみました。
カヌレとマカロン、可愛いでしょう。
掘り出し物自慢。
負けました。完敗です。
遅くなりましたが、今回の大震災で大きな被害を受けた方々に、心からお見舞い申し上げます。
神戸に暮らす人間にとって、以来暗い気持ちで毎日報道を見ています。
久しぶりの更新です。
元気を出さなくてはと思い画面に向かいます。
5月10日に渋谷bunnkamura ザ・ミュージアムで開かれている「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」に
行ってきました。
久しぶりの東京、渋谷。
20年くらい前はよく道玄坂あたりをブラブラしていたのですが、考えてみれば、それから渋谷には行ってないということに
気が付きました。
街並みが変わっているのか、変わっていないのかそれさえも分かりません。ですから、このbunnkamura ザ・ミュージアムは
恥ずかしながら、今回初めての美術館です。
東急百貨店に付随している施設で、多くの百貨店が美術部門を縮小している中、これからも健闘していただきたいと切に願っております。
地理学者1669年
さすが、フェルメール、この1点で多くの観客を呼び込むことができる作家はそうざらには存在しません。
全世界に30数点しかない作品を全部見て歩くことをライフワークとしている方もおられるということです。
出来たら、もちろん私だって、そうしたいのはやまやまですが、なにしろ時間と・・・が(涙)。
この「地理学者」、もちろん初めて見るのですが、実物は53×46.6センチ、意外と小さい作品です。今のサイズで10号のFサイズ
に近いです。名作と言われるものは、得てしてこのように意外性があるものです。
光、マチエール、色、構図など画面の密度は素晴らしいです。
しかしながら、この1点の脇を固めていた多くの「オランダ・フランドル絵画」もよかったです。
日本ではほとんど名前を知られていない作家たち(知らないのは私だけかも)の小品に感銘を受けました。
アドリアーン・ブラウエル 「背中の手術」 1636年 34.4×27センチ ヤン・ミーンス・モールナール 「煙草を吸い、空のグラスを持つ男」
29.2×24.2センチ
今のサイズで3号か4号の小品でこれだけ作品を描ける力、うらやましい限りです。もっと努力をしなければ!!!
大作も小品も力さえあれば、主題なんて関係ない。
つめの垢でも煎じて飲まなければなりません。
フランスにいた時に美術館でいつもたくさん見ていたはずなのですが、この歳になってこんなことに気づくなんて、
やっぱり、私につける薬はないのかも・・・。
奈良の近鉄百貨店での個展が無事終わりました。
いつも、たくさんの方々が忙しい中、またとても寒い時に来てくださり感謝しております。
2月13日(日)に吉元耕平君がお母様と伯母様との3人で来て下さいました。
お会いするのは、ハート展の開会式以来です。
耕平君が元気そうなので安心しました。
今回は耕平君の詩画集から大好きな詩と絵を紹介させていただきます。
「カリカリ」
いかがですか? あまり私の感想を述べるよりもこの絵と詩を感じて下さい。コーヒーを無性に飲みたくなります。穏やかな日差しの中で。
「お父さん ありがとう」
家族に対する気持ち、文句無く素晴らしいものです。
将来耕平君と「二人展」が出来れば素敵ですね。
耕平君の純粋な感性と、お母様や伯母様の愛情をいっぱい感じた一日でした。
2008年、今から3年前NHKから「ハート展」作画依頼が突然FAXでありました。
「ハート展」?
その後送られてきた資料を読んでやっと概要が理解できました。
この「ハート展」というのは、毎年企画されているもので、全国から障害をもつ方々の詩を公募し、
その中から50点を選び、そして、その詩を各界の50名の方々へ振り分けます。送られた人はその詩を読んで、
そこからイメージされたものを絵や写真(主に平面作品)で表現します。
いわば、詩と絵のコラボレーションの展覧会というものです。
そういうわけで、吉元耕平君の「生きていくよ」とい詩が私に送られてきたのです。
最初、どういうふうな絵を描けばよいのか、正直戸惑いましたが、何度も読んでいるうちに、何も耕平君の詩のためだけに、
特別な絵を描く必要はないのではと思うようになりました。いわば開き直りかもしれません。
私の描く草花はもともとハート型であるし、詩の中にある静岡に縁がある富士山もよく私の絵の中に登場するモチーフでもあります。
そんなことから、なんだか運命的な出会いという思いになりました。それがこの詩と絵です。
耕平君との出会いは東京日本橋の三越での開会式でした。恥ずかしそうで言葉を一言ぐらい交わしただけでしたが、実は耕平君の詩は2年連続でハート展に選ばれていたのです。
その詩を紡ぎだす才能は素晴らしいものです。
日常の事柄を純粋な目線でみつめそれを文字にする。なかなか出来ることではありません。
詩を書くだけではなく、絵も大変な才能をもっています。とても楽しい絵で、見る人の心をほっとさせます。
今年、年賀状を差し上げたところ、素晴らしい耕平君の詩画集が送られてきました。
そこから久しぶりに手紙のやりとりが始まりました。
耕平君の手紙の文面は詩です。
こんなすてきな手紙は今までもらったことはありません。
私のホームページを紹介しましたところ、奈良での個展に是非来たいとのこと、驚きました。
関東からわざわざ奈良まで、恐縮です。
楽しみにしています。
耕平君の絵や詩は次回のダイアリーで紹介させていただきます。お楽しみに。
穏やかな金曜日、ヴィンタートゥール展に行ってきました。
キャッチコピーが「ゴッホも、ルノワールも、すべてが日本初公開!!」というものです。
スイスの地方都市ヴィンタートゥールにある美術館のコレクションです。
ポスターになっている、ゴッホの作品はさすが素晴らしいです。
個人的に好きな作品はそのほかルソーやルドン。ドニの人物画など、とても魅力的です。
全部の作品が傑作とはいえませんが、メジャーな美術館で所蔵されている作品とは違い、
小品が多く、こういう展覧会も意味あるものだと感じました。
彫刻の小品たちがいいですね。
さすが!!ゴッホ!
ルソーの空気。濃厚な密度。脱帽です。素朴派の他の作家とは全く違います。素晴らしい!!
ルドンの小品3点、レベルが高い!!
モーリス・ドニの人物画、小さな作品ですが、傑作ではないでしょうか。
モランディの静物画、いつ見てもいいですね。何だか窯の中で焼かれている器たちのようです。
(こんな表現を陶芸家のどなたかがされていました。)
ブラックのヴァランジュビルの風景、このシリーズは、晩年ここに住んで海岸の風景などを描いた傑作です。ヴァランジュビルは
ノルマンディーの小さな村です。ノルマンディーの断崖の上にあるこの地に(絵に)あこがれて、何度かこの村を訪れたことがあります。
もう35年くらい前ですが。
小さな教会があり、そこのステンドグラスをブラックが制作していて、青いガラスを通しての光が印象的でした。
敷地内にブラックのお墓があり、お参りをしました。墓石に大きな鳥がモザイクで描かれていて、生前に制作したということです。
私も縞馬か、チータの絵を描いたお墓を作ろうかなと思っていましたが、先日家族が「お墓のアパート(?)でええやん。」とあっさり却下。
秋の小雨降る中、兵庫陶芸美術館に行ってきました。
「パリに咲いた古伊万里の華」展です。
実は前回の「型が生み出す、やきものの美ー柿右衛門・三田ー」展にも出かけましたが、なかなかアップできず、
今回の展覧会のついて少し書いて見たいと思います。
前回と色々と共通点がある展覧会ですが、日本を離れて異国の地に旅した器が主役です。
それもヨーロッパの王侯貴族たちが冨の象徴として、競ってコレクションしたものたちです。
私事で恐縮ですが、骨董屋さんにお邪魔して気に入ったものを探すということが大好きで、
色々と普段使える(これが必修条件です)古陶磁を集める趣味を持っています。
そういうお店ではほとんど眼に出来ない素晴らしい器が並んでいます。
展示室が4室に分かれていて、1から時代順に展示されています。
特にNO.1の部屋、元禄以前の延宝の器、本当にスゴイ!!
NO.2の元禄の器まではいいですね。時代が下がるにつれて、その質がだんだんと落ちていく様がはっきりと見て取れます。
しかし、これらをコレクションされた、碓井さんという方は凄いです。故郷日本に持ち帰って「日本の財産」にされている。嬉しいです。
実は、この「碓井コレクション」という名前、以前どこかで見た記憶がありました。
家に帰って、何日か経ってやっと思い出しました。
「東京都庭園美術館で見た!しかし、何の展覧会だったか?」
そこで、東京都庭園美術館のホームページを開いて、以前の展覧会を調べてみると、なんと、「パリに咲いた古伊万里の華」展だったのです。
情けないですね。まったく言っていいほど記憶にないのです。
歳ですね。
というよりも兵庫陶芸美術館の展示が素晴らしいのだと、無理やり納得。
併設されているカフェのパスタランチも美味しいし、そこいらあたりのイタリアンよりレベルは上だしね。そりゃ、印象に残りますよ。
余談ですが、娘が先に見に行って帰ってきて一言
「うちにあるものとレベルが全然ちゃうわー。」
「当たり前じゃ!うちは王侯貴族とちゃう!」
うむ、くやしいですが仕方ない。うちは立派な庶民です。
無理なことは分かってます。「欲しいデス。」
10月28日(木)に山梨県都留市にある増田誠美術館に行ってきました。「増田誠とその仲間展」が開かれています。
私の師匠でもある増田先生が亡くなられて21年が過ぎてしまいました。
在りし日の増田先生」 リトグラフ
奥様がお元気で、寒い雨の中、大月の駅まで迎えに来てくださり、感謝です。
久しぶりにお会いして、相変わらずのパワー、見習わないと。
それから、先生のお墓参り。6年ぶりです。
今から30年以上も前にパリで先生と奥様に出会い、右も左も何も分からない若造に親切にパリの事情などを教えてくださいました。
先生はいわゆる、「親分肌」と言われるような人柄で、瞬間湯沸かし器のような一面がある反面、本当に憎めないかわいい画伯でした。
戦後パリで画商と契約した日本人画家は稀有で、先生が最初ではないかと思います。
亡くなられる2ヶ月前に神戸に来られて拙宅にもいらしてくださいました。その時私の動物の絵をご覧になって、「おもしろいねー。いいよ。」と
おっしゃってくださいました。私にとってはこの言葉は先生からの激励だと感じました。嬉しかったです。
今回の出品作1 今回の出品作2 1977年制作「静物」3F
今回の「ゆかりの作家」展(もちろん私が最年少です)に先生の作品のそばで私のチータの絵、動物の絵があるというのは、感慨無量です。
古くからの友人、先輩の作品も久しぶりに拝見してパリの街並みや、カラフルな秋のマロニエや場末のカフェ等々・・、懐かしい風景が目の前に浮かんできました。
帰りの電車の中は寒かったのですが、とても心は温かくほっこり、豊かな甲斐路の風景をながめながら、久しぶりに「旅」をした気分でした。
今年の夏はとても暑いです。毎日エアコンをつけて寝ていますが、寝苦しい日が続いています。
そんな1日、伊丹市立美術館にアンドレ・ボーシャン展に出かけました。会場に入るなり「花束を持つ少女」(1992年作)が眼に入りました。
素晴らしい作品です。構図、形、色、マチエール、そんなに大きな作品でありませんがその存在感は圧倒的です。
家に持ち帰って飾りたいと思いました。
ボーシャンは「素朴派」というジャンルの作家ということですが、代表はアンリ・ルソーが一世代前に存在します。
では「素朴派」とは何なのか?長くなるのでやめておきます。(面倒なので逃げています。)
私は、基本的に絵は上手、下手、良い絵、そうでない絵の4種類の組み合わせで成り立っていると勝手に思い込んでいます。
「上手で良い絵」、「上手でよくない絵」、「下手で良い絵」、「下手でよくない絵」という組み合わせです。
この論法でいけば、素朴派で良い作家というのは「下手で良い絵」と いうことになるのでしょう。
小倉遊亀が「稚拙は許せる。しかし粗雑はダメ。粗雑は心の病であるから・・・。」というようなことを言われているのをどこかで聞いたことがあります。
個人的には1920年代の人物画が好きです。それと晩年の花の絵も好きでした。
晩年は絵の質が落ちていく作家が多い中で、ボーシャンはさすがです。
最後に一花咲かせました。
兵庫県立美術館へ中山岩太の写真展を見に行ってきました。
以前に芦屋市立美術館で見たことがあって、名前だけは知っていました。
今回のような系統だった大きな展覧会は初めてです。
なぜ福岡出身の中山岩太が芦屋、神戸で活躍するようになったかは分かりませんが、
誇りにしていい作家であることは間違いないですね。海外でも評価されるべき写真家です。
お気楽な二人の会話です。
絵描き(A)が一言、「うぅむ、イイ!」
写真家(B)が一言、「何でこんなに入場者が少ないのか」
A:「確かにもったいないですね。京都の長谷川等伯展の観客を1%こちらにまわってくれたらいいのにね。」
B:「本当に。NHKの新日曜美術館で取り上げてくれたらもっと入るだろうに・・・。」
A:「絵よりもずっと絵画的ですね。」
B:「・・・。」「それって、何だか写真を見下してない?」
A:「いつも思うんだけど、絵描きは普段写真を意識して仕事をするというのは少ないような気がするんですよ。
でも、写真家の多くはなんとなく絵を意識する人、多くない?」
B:「・・・。それはそうかもしれないが、もともと写真と絵画とは違うものだと思うけど。」
A:「それはそうかも・・。確かにロバート・キャパの戦争の写真なんかは絶対絵画とは違う一瞬のリアリティーがあるよね。」
B:「『そうですよ。ボクシングと空手とどっちが強い?』ってことと同じことを言っているようなもので、比べようがないですよ。
世界チャンピオンのボクサーと空手の初心者と戦えば、結果は明らかでしょ。その逆もしかり。」
A:「でもアートに視点を置くと、その根底は同じなんだよね。そう見ると、どちらでも、いいものはいいということだよね。」
B:「そのとおり! 個人のレベルの問題ですよ。」
A:「ところで、最近格闘技でボクシングや空手なんかをミックスしたスポーツ、人気があるよね。あれって、写真と絵画のコラボ?」
B:「???現代美術ってところかな???。」
A:「でもあれはやりすぎだと思うんだけど・・・。オジサンにはやっぱり、従来のボクシングや空手のほうが見ていて気持ちがいいんだけど。
やっぱり古いのかな、考えが。」
B:「古いですよ。まぁ仕方が無いですよ。そろそろ還暦が近いんじゃ。」
A:「・・・・。」
中山岩太 1927年 ピカソ 1912年
考えさせられた一日でした。
4月4日(日曜日)に会場に行って、お世話になった方々にご挨拶をしました。
初めての場所での個展はいつも楽しさ半分、緊張半分と言ったところでしょうか。
町田という町は以前(もう20年以上も前ですが)一度行った記憶があります。確か、東急ハンズに買い物に行ったと思いますが、
なぜ、そこに行かなければならなかったのか、まったく記憶にありません。その時、大きなはつらつとしたニュータウンで、関西にはこのような
街はないなという印象でした。
今回はニュータウンの宿命かもしれませんが、「少し歳を取ったなぁ。」と感じました。(自分のことは棚に上げています。)
個展は花の絵が全体の2/3を占めていて、今までの展覧会とは少し印象が異なりました。
最近、ダリアの花に凝っていて楽しんで描いています。それと今までの花の絵は花瓶がすべて無地のものでしたが、30年以上前に
パリの蚤の市で手に入れたマジョルカ焼きの花瓶に挑戦しています。
アトリエの隅にずっと置いていたものですが、やっと日の目を見たという感じなのでしょうか。
この花瓶だけを描いてばかりもいられませんので他の花瓶が欲しくなり、アンティークショップなどを覗く機会が増えました。
なかなか好みのものが見つかりませんが、久しぶりに欲しいものを探す楽しみが出来ました。
頭の片隅にこのことを置きながら街を歩くということは楽しいものです。
少しわくわくしています。
久々に地元の兵庫県立美術館に小倉遊亀展を見に行きました。
105歳まで絵筆を取って制作を続けていたということ自体にまず驚きと尊敬の念をいだきます。
制作にたずさわる多くの人たちは、晩年は「老い」との闘い、作品の質の低下と闘わなければなりません。
そこで、その質の低下を認めたくない(眼を瞑る)、しかしそれが明らかに作品に表れて、なおもしかたなく描き続けるというのが一般に見られる
傾向でしょう。人気作家であればあるほど、衰えた個展や展覧会を開くたびに「公害だ!迷惑だ!」と言われかねない状況になります。
小倉遊亀は明らかに戦い続けて、それも質を保った稀有の画家ではないでしょうか。
もちろん筆の切れは晩年なくなってきはきていますが、絵に対する真摯な姿勢やその品格は最後まで維持できた作家だと思います。
それは、若い時代に人並み以上の努力を惜しまず、鍛錬してきた結果なのでしょう。
比べ物にはなりませんが、私も若くはない年齢で、この展覧会には勇気づけられました。しかし、凡人の私には前述のような公害的な個展を開くように
なる前に筆を置く決心をしなければなりません。
これはあくまでも希望であって、現実は鼻水を垂らしながらも、未練がましく描き続けているのかも。
周りの皆様、そのようになった時には遠慮なく、「もうやめなさい!!」と筆を取り上げてください。お願いします。
自分で適切な判断が出来ない、これがまさに凡人である証拠です。
良い展覧会でした。
久々に吉祥寺に行ってきました。いつ行っても楽しい街です。
ご夫婦ともに親しくさせていただいている後藤さんの奥様、ますみさんのグループ展「横丁牧場展」がハーモニカ横丁にある
横丁ギャラリーで開かれました。
後藤ますみさんの絵葉書が並んでいました。彼女のやさしさがにじみ出ている動物たちです。それに彼女のホームページにある
「人と動物日記」というページの絵、素晴らしいですね。これまたやさしい視線で描かれた動物、人間。こんなふうな視点を持てば争いなんか
起きないんでしょうね。
ご主人の後藤範行さんの絵がこれまた良い!イラストレーターとして活躍されていますが、独特のフォルム、構図、色。素敵ですね。
アフリカや絵本の作品を10号以上のキャンバスに、油絵でとは申しませんがアクリル等で描けば素晴らしい作品が出来るはずです。
いつも私はこう思って、いつの日か見てみたいと願っています。
小さな小さな可愛いミニ絵本です。
帰りの新幹線の時間が迫って吉祥寺の駅の改札に向かっていると、あるポスターに目が留まりました。
「斉藤真一展」、武蔵野市立吉祥寺美術館で今開催中とのことです。
これは是非とも見なくては・・・。急いで美術館に向かいました。幸い駅から5分もかからないので助かりました。
斉藤真一という画家は私が高校生の時に「瞽女」シリーズで一躍有名になった画家ですが、その実力は知る人ぞ知る、
哀愁を表現できる画家でした。あの藤田嗣治とも親交があったそうです。
「瞽女」シリーズのテーマと深い色は見た瞬間に人の魂を揺さぶります。こんなに直接衝撃を与えてくれる絵は稀ではないでしょうか。
私個人としては60年代、キスリングや国吉康雄を想わせる、ヨーロッパの哀愁漂う風景画も大好きです。
良い一日でした。
2010年2月15日(月) 小村雪岱とその時代 埼玉県立近代美術館
個展で上京中、時間をつくって北浦和まで行ってきました。
小村雪岱という画家のことは恥ずかしながら知りませんでした。少し前の新日曜美術館で、短い時間でしたが
紹介されて、そのシンプルな画面構成と高い品格が印象に残りました。
美術館ではその世界に入り込んでしまいました。
時代小説が好きな私にとっては、色々なことを想像しながら会場を回りました。
池波正太郎の師匠である長谷川伸の挿絵を担当している雪岱に、時代が違いますが池波正太郎自身も挿絵を描いてもらいたかったのでは
ないかとか・・・。
藤沢周平の江戸庶民をテーマにした短編に雪岱の挿絵、想像するだけでわくわくしますね。
日本画の本画が主流とされていた時代に「挿絵」という世界で、これだけ品格の高い作品を生み続けた雪岱、スゴイです。
もっともっと評価されて良いのでは。
(余談):入り口付近にフェルナン・ボテロの彫刻があります。これも良いですね!
初日に画廊に行きました。
いつもながら個展の会場は、画商さんには大変お世話になりながら、絵描きにとって居心地のよいものではありません。
友人が来てくださり、色々な話が出来るのは大変楽しいのですが、自分の描いた絵に囲まれている状態は、「針の莚(ムシロ)」に
座っているようなもの・・・。
「ああすればよかった・・、こうすればもっとよくなったかも・・・」ということばかりを思ってしまい、できるだけ早く会場から退散したい
気持ちで一杯になります。
でも銀座で2週間もの期間、展覧会を開催してくださったTAMURAさんに感謝、感謝。
次はもっと良い絵を描きます!!!